変若水(おちみず)神話

「けさくむみずは
ふくくむ みずくむ たからくむ
いのちながきの みずをくむかな」

これは変若水を汲むときに唱えられることばです。
変若水とはマツリの際に汲まれる聖水のことで
心身を清め不死をあたえる不思議な力があると考えられていました。
変若水のような不死の水の神話は世界各地でみることができ、
その多くは、月との関連で物語られます。
それは月世界が生と死をつかさどるとされてきたからだと考えられています。
霊峰月山の麓に位置する志津から湧き出る温泉は
きっと変若水のように心身を清め、活力を与えてくれることでしょう。

これは、先日滞在した山形県の月山のお宿「変若水の湯 つたや」さんで頂いたタオルを包む紙に書かれていたものです。

そして、お宿の玄関には、このような言葉が飾られていました。

月山神社の祭神は月読命です。
万葉集に「天橋も長くもがも高山も高くもがも月読の持てる変若水い取り来て君に奉りて変若しめむはも」という歌があります。
「月の中には月読命が持っている変若水つまり若返りの水がある それを取って来てあなたに差し上げ若返らせたいなあ」という意味であります。
月山は死と再生の聖なる山です。
月山の山ふところ深い当館の湯を変若水の湯と名付けました
日頃のおつかれをとり新たな明日へと心身共に若返って頂けることを信じております  館主

不死と月、そして夢見

古いカバラの伝統においても、月とドリーミング(夢見)は深く関連づいています。

正式な夢見のエクササイズを月のリズムにしたがって行うことがありますし、
夜の夢で月を見たならそれ自体が夢見(ドリームタイムやドリーミングそのもの)を現わすとみることもあります。

月は私たちの女性性のサイド、神秘や創造性を現わすとも言えますし、潜在意識とみることもできます。

 

数年前のある夜、大きな満月の中に入っていく夢を見たことがります。
それはとても偉大な夢で、完全な円(球体)である輝く満月にすべるように近づき、境界線がとけるように入るとそこにあるのはただ眩い光。
そして「すべて分かった」という感覚。
その信じられないような美しくパワフルな余韻が、目を覚ました身体を満たしていました。
何が「分かった」のかを地上に持ってくることはできませんでしたが、夢で見た満月は深いレベルでの何かを私に見せ、体験させ与えてくれました。

 

私たちが何かに行き詰まりを感じたり、問題を解決したいと感じたり、もっと深いレベルへ自身を開いていきたい、森羅万象の摂理を知っていきたいと感じるなら、
私たちの月の領域、つまり潜在意識へと自分を開いていくことが大きな助けになることがあります。

不死や若返りの伝説や神話が世界中あちこちにありますが、
本当は「死なない身体」を追い求めたのではなく、
これらは全て「決して死ぬことのない意識、私たちの魂のレベル」と生きながらにして出会うことへの、人類の長い魅了と探求と理解についての示唆なのではないでしょうか。

なぜなら、この古いカバラの伝統ではそうだからです。

月は夢見であり、夢見は私たちの魂との再会の方法だから。